くれ福祉まつり(2016年10月23日)


プロデュース広島のWさんが撮ってくださってました(感謝)



今年の10月はダブルヘッダーマンスリーです。

土日連チャンイベントもハードですが、ダブルヘッダーに比べると、一晩ゆっくとり
セットができるという違いがあります。

しかし、ダブルヘッダーイベントは、それぞれのイベントの出演時間、それに向け
ての機材搬入、セッティング、音響チェック、本番ライブ、撤収、移動と、とにかくい
つも以上に細かい時間配分が必要ですし、それぞれのライブでのテンション上げ
下げのコントロールにも苦労しますし、とにかくドタバタと慌ただしい動きになってし
まうためイベント関係者のみなさまにはとても申し訳ない気持ちがあるわけで。

できることなら、ゆっくりとイベント全体の雰囲気を味わいたいし、呉フォーク村とし
てイベントのサポートができる事は喜んで関わっていきたいと思っています。

そうはいっても、オファーをいただいたイベントはできるだけお請けしたいし、毎年
参加させていただいているイベントには継続して参加させていただきたいし、社交
辞令とは分かっていても「呉フォーク村のライブをとても楽しみにしています」という
お言葉をいただけると、何とか無理してでも参加しようと調整してます。

そんな週末が多いのが今年の10月。

先々週は、西条酒まつり、東観音台フェスタの連チャンイベント。二日目の東観音
台フェスタの日は、地元団地の祭りと打ち上げライブを挟んだある意味トリプルヘ
ッダーイベントで、喉ガラガラ、体はヘトヘトになりながらも、楽しく乗り切った。

そして今週末。
「くれ福祉まつり」と「呉ポーハロウィンライブ」のダブルヘッダー。
同じ呉ポー内でのイベントなので、移動に苦慮する必要がないのが助かります。

まずは「くれ福祉まつり」
今回で9年連続9回目の参加になります。

参加メンバーは、村長、まる、け〜すけ、みかさん、hio,masae,Qちゃん、トロ
ロ。
そしてyoshiくんには、イベント全体の音響をお願いしました。
できることなら、自分もお手伝いしたかったのですが、ダブルヘッダーイベントで途
中から抜けるため、yoshiくんには申し訳なかったけど、快くお引き受けくださり感
謝感謝です。

「くれ福祉まつり」は、参加する度にいつも感じますが、呉フォーク村の音楽ボラン
ティア活動の集大成のイベントような気がします。

そう思える要因はいろいろありますが、一番はこれまで参加させていただいたイベ
ント関係者にたくさんお会いできる事だと思います。

今日もたくさんの懐かしい人たちともお会いできました。
来週オファーいただいている本庄作業所のみなさま、今年は残念ながらふれあい
会館の移転があり七夕まつりが開催できませんでしたが呉市手をつなぐ育成会の
みなさま、最近はサークル活動ができていないのか、以前よくオファーいただいた
JOYJOYサークルや元気サークルのみなさま等々。
年に一度、この場所でしかお会いしない人たちにも再会できるし、ここで呉フォー
ク村の演奏を聴くのを毎年楽しみにしてるって、ありがたきお言葉をいただける。

「やっぱ、このイベントのトップバッターは呉フォーク村さんの演奏ですね。もうそう
いう流れができているし、みなさんもそういうイメージを持たれてます」

イベントスタッフの方から、今年もありがたきお言葉をいただいた(感謝感謝)

益々パフォーマンスを磨かねばと、改めて気が引き締まります。



機材搬入

まるさんが夜勤明けということで,現地到着がギリギリになりそうでしたので,事前
にドラム一式をお預かりしてました。
「適当に配置だけしておいてください」ということでしたが,よき相棒のけ〜すけさん
がホームページの画像を参照されながら,みなさんで協力して組み立てられ,ほ
ぼ完璧にドラムセットを組み立てられてました。


ステージセッティング


今年は,トップバッターでしたので,事前のステージセッティングとリハーサルをた
っぷりさせていただけたので,ほんとにスムーズに段取りができました。
確か昨年は,吹奏楽演奏の次の出番でしたので,短時間で機材を入れ替えセット
して,ほとんどリハなしでの本番ライブになり,慌ただしかった記憶があります。
今年は,音響をyoshiくんがやってくれたこともあり,自分たちのペースで段取りや
リハができました。

調子に乗って,午後ライブでの演奏曲「春だったね」を演奏して音響チェックしてる
と,手話サークル「しお」のお姉さまがニコニコしながら飛んできて,

「これ拓郎よね?演奏曲変わったのなら歌詞ちょうだい!拓郎大好きなんよ!」

演奏曲が変わったことに対するお叱りかと思えば,どちらかと言うと喜んでおられ
ましたが,

「スミマセン。午後から別会場で演奏する曲なんです。演奏曲は予定どおりで」

そのお姉さまもフォーク世代で,学生の頃,ギター弾かれた経験もあり,家の押し
入れには当時のフォークギターがあるそうです。時々出されるそうで,息子さんに
もギターを勧めたりもされたそうですが,我が家同様続かなかったみたいで。

「「22才の別れ」とかやってました〜」

定番だね。



リハーサル


まるさん到着後も即ドラム入りのリハもでき,イメージしていたベストな流れでイベ
ントスタートを迎えれました。

天気予報では雨も心配されましたが,もう説明の必要ありませんね。
呉フォーク村の晴れ晴れパワーにはあっぱれです!
暑くもなく寒くもなく最高のイベント日和の中で,今年のくれ福祉まつりは盛大に繰
り広げられました。


ライブ前


くれ福祉まつりでのライブは,呉フォーク村ユニフォーム着用を基本としていました
が,今年はカープユニフォームでの出演にしました。
やはりみなさん盛り上がっていただけましたね〜
カープ愛って,ほんとに地域に根付いてます。

これからもカープにあやかって,楽しいライブを繰り広げればと思ってます。
新たなアイデアがあったら提案してくださいね。
「ずっと好きだった広島カープ」は我ながら最高傑作で,毎度毎度皆さんほんとに
盛り上がっていただけますし,「真っ赤なメドレー」も結構受けてましたよ。


今日も手話サークル「しお」さんには,MCや歌詞に手話をつけてくださりました
(感謝)
歌詞は事前に提出しておりましたが,数年前からMCはアドリブとさせていただい
ております。
当然今日のMCはカープモード。

「25年ぶりリーグ優勝,おめでとうございま〜す!」
「日本シリーズ第一戦勝利,おめでとうございま〜す!」

早口になったり,手話にならないような内容のMCでスミマセン。。。(笑)

ライブは,終始リラックスした中,楽しく盛り上がりました。

今年は本番ライブの写真撮影者が手配できなかったため,くれ福祉まつりの写真
は以上です。
トップの写真は、午後からイベント主催のプロデュース広島のWさんが撮影してく
れてました(感謝)


ほぼオンタイムでのライブ終了後,速攻で機材撤収し,次のイベント「ハロウィンラ
イブ」会場の多目的ホール袖に機材運搬。

午後からのリハができるまで小一時間ありましたので,速攻で昼食を済ませ,くれ
福祉まつりの会場を散策して本庄作業所や手をつなぐ育成会のみなさまに挨拶回
りしたり,イベント主催のTさんと世間話したり(?),ステージ発表を見たり,できる
だけイベント会場にいるようにしました。



演奏曲一覧




(村長雑感コーナー)

 「カープ強し」

今年のカープは,ほんとにたくさんの感動を味あわせてくれました。

25年ぶりのリーグ優勝。
クライマックスシリーズ優勝。
そして日本シリーズ出場でいきなり地元2連勝。

カープ応援歌「ずっと好きだった広島カープ」を演奏した日は,大体勝利している
気がするのですが,今日も午前午後2回演奏しましたので(?),見事に日本シリ
ーズ第二戦勝利です!

ほんとに強くなりましたね〜

私の,今年のマツダスタジアムでの観戦成績は7試合観戦で6勝1敗です!
凄い勝率でしょ!?

その内,2試合はクライマックスシリーズの第一戦と第二戦。
素晴らしい勝ち試合の2試合を観戦できました。

中々クライマックスのチケットは手に入らなかったようですが,たまたまラッキーな
ことに,チケットが回ってきたんですね。
いつもチケット取りは他力本願なのですが、、、(笑)
実は,クライマックス最終戦のチケットもあったのですが,早々に決着が付き,チ
ケットは払い戻しと相成りました(笑)

クライマックス戦は,リーグ戦の雰囲気以上の異様な盛り上がりで,ほんとにスタ
ンドが揺れて見えましたね。
宮島さんも叫びまくりで声ガラガラ。
もちろん飲んでますので(笑)

さすがに,日本シリーズの観戦チケットは回ってきませんでした。。。
実は,いつも観戦チケットを入手してくれる会社の同僚は,日本シリーズ4試合分
のチケットゲットしたんだって!
既に2試合はご子息さんと観戦してきたとか。
まじ本気です!


25年ぶりのリーグ優勝。

弱い時代のカープをたくさん見てきたので,感慨もひとしおです。

そんなカープですが,強い時代もありました。
1975年に初優勝して以来,しばらくはカープ黄金期で,常に上位チームの時期
もありましたよね。

初優勝は,自分が小学5年生。
かれこれ41年前のこと。
あの年の事は,断片的ではありますが,よく覚えてます。

自分が野球を始めたのは,小学4年生の秋から。
小学校の少年野球チームに入部しました。

その当時のカープは,万年最下位で,しかもまだ黒ヘルでした。

もちろん弱いカープのファンではありましたが,なぜか長嶋茂雄だけは好きで,よ
く投げ方や打ち方を真似て遊んでた。

そして少年野球に入部した翌年。
カープの監督が外人の「ルーツ」に代わり,ユニフォームもガラッと変わり「赤ヘ
ル」になった年。

当時「赤色」って,とても軟弱に思えて,弱いカープが益々弱くなったって感じたこ
とをよく覚えてます。

ところが,その軟弱に感じた赤が「燃える赤」に変貌する。
あまり良くないことだけど,判定が不服で審判に飛び掛かったり,確か観客が球場
になだれ込んできて,相手選手に殴り掛かるなどの暴動があり、翌日の試合が警
備上の問題で中止になったことがあった年。

昔のカープファンは,ガラが悪かったもんね〜
選手に対する野次も汚かった。
今でこそ「カープ女子」なんて言われるように,ある意味ファッション感覚のカープ
ファンがいるほど綺麗なイメージで,ファンの礼儀正しさも昔のカープからは想像
できません。

ただ,その年は,それぐらい選手の気合いが変わってきたようで,波乱万丈の一
年だった。

新任の「ルーツ」監督は,リーグ始まって早々の試合で,審判の判定不服で執拗
に抗議,退場となった。その日早々に監督辞任を決断。(赤ヘルはルーツ監督の
発案だったと聞いている。日の丸の赤をイメージしたとか。)

そして,あの名将「古葉監督」がルーツの意思を継いだ形で,チームを引っ張って
いく。
そして見事な初優勝。
優勝したあの日の事は今でも鮮明に覚えている。

デーゲームの巨人戦。
土曜日だったはず。
試合を見ていたわけではない。
私は,少年野球の練習のため、小学校のグランドにいた。

突然の校内放送。

「ただ今8回。ホプキンスがスリーランホームランを打ちました!4対0でカープリ
ードです!」

学校の先生が,校内放送でカープの事を放送するんだと,子供心に洒落の聞いた
大人の行動が妙に嬉しかったことを覚えている。
土曜日なので,もう学校は終わっているはずなのに。
今の時代、こんなことをしたら,コンプライアンス違反だと必ず苦情を言う父兄が
いるだろう。

この年からカープの黄金時代が始まったような気がするね。
私が10代〜20代の頃は,ほんとに強かった。
カープがそんなに強かった時代を知ってるがゆえに,今年までの25年は長かった
ね。
またまたカープの黄金時代が始まるか!
期待してます!


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機材搬入





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ステージセッティング





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リハーサル






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ライブ前




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